中国陝西省の街、咸陽の名物ラーメン「ビャンビャン麺」の 「ビャン」という字について少し機会があり、調べることがありましたので、調べた内容についてメモ程度に情報掲載しておきます。
字について
『康煕字典』をはじめとして中国の歴代の大型の字典には収録されていない文字。PCでは入力することはできないので、ビャンビャン麺をPCで書くとき、中国ではBiángBiáng面、biángbiang面のように書く。(“面”は麺の簡体字(中国で使われている漢字)、麺の意味になる。Biangには上記の字体以外に、「刂」のところが、「丁」になっているものなどがあるが西安では「刂」と書く字体が多く看板では使われているらしい。( 佐藤孝2016年4月 「biangbiang麺」『アジア・文化・歴史』第1号 )
道教の吉祥字のルールに従っているという説がある(陸錫興2019『漢字民俗史』商務印書館)、吉祥寺(=合字)自体は、伝統的に護符を中心に見られるもので、たとえば「招財進寶」(「寳」「招」「進」の合字で、財宝を招き入れる意)などが現在でも使われている例として見られる。ただし「ビャン」の字については特に吉祥に関するパーツは含まれていないので、道教との関りは考えなくて良いと思われる。
画数としては57画がよく使われる字体の画数として紹介されているが、パーツ構成や簡体字か繁体字かによって微妙にことなり、上も下もある。
個人的にはこういうふうに話題になることが狙いであり、今でいうSNS映えする文字を作ることで、「咸陽になんかすごい字のラーメンあるらしいぜ」という話題がクチコミ的に広がっていくことを狙ったのではないかと考えています。一種の広報戦略。
字描き歌
あまりに難解な字なので、字描き歌がある。字描き歌自体が字の意味や成り立ちを表しているため、字が先か歌が先かは正直よくわからない。字描き歌はしっかりと韻を踏んでおり、字描き歌を作った人(字を作ったとされる人と同じかまでは不明)はそれなりに学があると思われる。ただし字描き歌は数多くのパターンが存在するためとりあえず代表的なものを紹介。
※( )の中は歌によってはこういうのもあるよという別パターンのもの。
一点飞上天 yìdiǎn fēishàng tiān
黄河两头弯 huánghé liǎngtóu wān
八字大张口 bāzì dàzhāngkǒu
言字中间走(往里走) yánzì zhōngjiān zǒu ( wǎng lǐ zǒu )
左一扭 右一扭 zuǒ yī niǔ yòu yī niǔ
你一长 我一长(西一长 东一长 ) nǐ yì cháng wǒ yì cháng( xī yì cháng dōng yìcháng)
中间加个马大王 zhōngjiān jiā ge mǎdàwáng
心字底 月字旁 xīnzì dǐ yuèzì páng
一个小勾挂麻糖(留个勾搭挂麻糖) yí ge xiǎogōu guà mátáng(liú ge gōudā guà mátáng)
坐个车子回咸阳(推了车车走咸阳) zuò ge chēzǐ huí Xiányáng (tuī le chēche zǒu Xiányáng)
(日本語訳)一点、天に飛翔し、黄河が両辺に曲がる、八の字が大きく口を開け、言の字が中に入る。左に一ひねり、右に一ひねり、あなたのほうに長、私のほうに長い(西に長、東にも長)、真ん中に馬大王を加える(※「大王」は真ん中に座るので、馬の字を「大王」に例えて馬大王としている。ここで「馬大王」という単語を選んだ理由はangという音で韻を踏ませるためだと筆者は考えている)、心の字が底に、月の字が傍らに、麻糖(西安では方言でえ麻糖というが、一般的には“麻花“)をひっかけ、車に乗って咸陽へ向かう(車をおして押して咸陽へ帰る)」。
筆者はこの字はラーメンを売るお店ではなく、旧字に咸陽の街道で麺を売る車を押していた人を描写していると考える。字は発音biangを表す部分と、車を押す人を描写している部分からなる会意形声字である。
まず音については Biangの中を分解すると「戀」(恋)、「邊」(辺)の2文字の一部が出てくる。 中国語には2つの漢字を使って、それぞれが母音と子音を表し、1つの音を表す方法がある。そのため邊はbianという音で子音のbを、恋はlianという音で母音のianを表し、2つの音を足してbianという音になる。(邊1文字でbianになるがそこはつっこみなしで…)、そのうえで、bianという音は陝西省の方言で、biangと発音される。(biang自体は現代中国語の音韻体系の中には存在しない)
次に意味のほうとしては、これもかなり説がある。ただしどれも文字資料による証明ができないので、想像力豊かに考えているというのが実情。
個人的には、この字全部で、黄河のほとりの咸陽の街の街道を、麺を売る一輪車がゆらりゆらりと進んでいる様子を描写していると考えている。
この説は、ウ冠は場所を表しており、これで陝西省の咸陽の地理を描いていると考える。糸は車が揺れる様子、言は麺売りの麺を売る言葉、馬は麺売りが背中が曲がっているところから麺を売る車を押す人自身を描き、 長は麺を入れた袋(=長面袋子、長めの麺を入れるための袋) 、月は肉、 「刂」は車の横にかけられている“麻花”、あるいは麻花をひっかける鉤を指し、シンニョウは街道を行く様子を描写したものと解釈したものである。(あれ?心はというつっこみはなしで…)
ただしこれはあくまで一説であって、たとえばウ冠はラーメンを売っている人の帽子を指すとか、咸陽の人にとって麺は心の中にともにあるものだから心があるとかいろいろあるが、どうもどれもしっくりこなかったのでここでは参考程度に掲載しておきます。 馬は馬車という説もあったが、麺売る人が馬なんて効果なものを当時もっているのか??という疑問から却下。いずれにせよ、いずれも定説ではない(というか文字資料がなく、そもそも定説が存在しない。)
発音について
これも諸説あるが、
1.平たいことを意味する扁扁biǎnbiǎnがなまった説⇒北京の音で「ian」と発音されるものが陝西の音ではiangと発音されることがあり、そのあと漢字を作字して当てた。ほかにも色々あるが、たぶんこれが一番正しい気がする。
2.調理時の麺が発する音から変化した。これは麺を伸ばす、ゆでる、あげるタイミングに出る音だといろんな説がありすぎて収拾がつかない。
③任克『関中方言詞語考釈』には「餅餅麺bǐngbǐngmiàn)」biángbiǎngmiān という読みを記しており、そちらから来た説。…餅は漢代には小麦粉をまるめたような麺を表す漢字として疲れていたので、小麦で作られた麺というぐらいの意味だと思うので、これもありそうではあるが…。うーん。
ビャンビャン麺自体について
ビャンビャン麺の歴史は正直不明。ただし西安在住の老人が子供の頃からあったと言っている(お店の人に聞いた)ことから、少なくとも民国期からはあたと考えられる。また旧時、咸陽の街に車を押して麺の呼び売りをするお爺さんがいたというような記述もあった(はず)。
ビャンビャン麺のおひざ元の観光局では・・・道端や渭河(イカ)のほとりで火に鍋をかけ、渭河から汲んできた水を加え、麺を中に入れた。お客さんがやってくると、麺を一ひねり、二ひねり・・・十ひねりと鮮やかに麺を伸ばし、長くて平たい麺を作った。幅広に広がった麺を空中に投げ鍋の中に落とす、茹で上がった麺をすくい上げ、お椀に入れ、車に結び付けた袋から調味料を取り出し麺が入ったお椀の中に入れた。(咸陽観光局)
ところからビャンビャン麺の漢字ができたという説を解説している。
また一説には元の時代、刃物の統制が厳しく、ハサミや包丁を使う際には許可が必要だった。そこで粉をこねて、1枚ずつはがして薄く延ばして、切らずに食べる方法を考案したというのもあるが真偽は未確認。
あとよく言われる話が、「学生/秀才/貧しい清廉な官僚/貧しい学生」が咸陽を通りがかったとき、麺屋の中からビャンビャンという音を立てて麺を打つ音と、ラー油の良い香りが漂ってきた。空腹だった学生はその匂いにつられてお店の中に入り、麺を1杯食べた。そこで自分がお金をもっていないことに気が付き、お店に看板がないことに気が付き、店の名前/ラーメンの名前を尋ねた。お店の人はそれまでそういったことを気にしていなかったが、名前をbiangbiang麺だと伝えると、その学生は、歌を歌いながら、biangの字を書きあげた。というものであるが、話の内容から秀才、学生、役人というのが出てくるので、この話を信じる限り、1911年以前にあったと考えられる。
それでは麺の歴史はどうだろう。麺自体は漢代からあるが、味付けの肝となる唐辛子は明末清初以降に中国に伝わったとされるので、現在の形になったのは少なくとも清代以降か…?
ということで、個人的には麺自体は清代のどこかあるいはそれ以前にできて、平たい麺ということからbianbing麺(biangbiang麺)のような名前があり、漢字自体はなかった、それがどこかのタイミングで漢字を当て字で誰かが作り(当時の識字率が10パーセント以下だったことを考えるとかなり学がある人)、その漢字の特異さから広まっていった…というぐらいではないでしょうか?
※ただしいずれの説も口承であり、検証はできないというオチが付く。